My Hometown

住めば都とやらで ....

写真1 国道1号線を藤枝方面から東進すると道はやや北寄りに曲がり、国道1号線バイパスが高架になっている「内谷新田」という名の交差点に出る。交差点を右折してバイパスのランプウエイから国道1号線バイパスに入れば、岡部バイパスを経て、行く先は静岡方面へ。交差点を直進すれば、その左脇に「これより東海道・岡部宿(左図)」の石碑がひっそり立っている。此処がわがホームタウン・岡部町の西の入口である。 静岡県志太郡岡部町:面積 53.29 ku、人口 12,875 人 (うち65歳以上のシニア数 2,972 人) 世帯数 3,848 戸、農家数 768 戸、町財政力指数 48.2 %、大都市近郊でありながら山林と農地、高齢化率が全国平均を遥かに上回る財政基盤の弱い寒村・・おっと、町である。町内には新幹線、JR東海道線のレールもなければ高速道路などの主要幹線道路も通っておらず、パチンコ屋や映画館もなければ若い人の集まるショッピングセンターもない。それだけに静かなことこの上もない。

主な産物は、お茶、筍、椎茸、蜜柑。お茶は「岡部の玉露」は、つとに有名。また、筍は、独特の風味と柔らかさでシ−ズンには県内外から買いに来る。

観光資源として、東海道五十三次、お江戸日本橋から数えて22番目の宿「岡部宿」に肖る「大旅籠 柏屋」歴史資料館と山間の里の美しい秋空に向かって白煙をあげながらまっすぐに伸びていく勇壮なロケット花火、静岡県の指定民俗文化財「朝比奈大龍勢」には見るべきものがある。詳しくは、下記の岡部町役場ホームページをどうぞ。



蔦 (つた) の細道

写真2 「梅わかな丸子の宿のとろろ汁」芭蕉・・で有名な東海道五十三次お江戸日本橋から21番目の「丸子宿」と「岡部宿」との間にある「宇津の谷峠」・・同じ東海道の中でも箱根峠や鈴鹿峠とは規模の点で比較にならないほど小さな峠だが街道随一の難所であった。道幅は狭く木々が生い茂り昼なお暗く通行人の少ない道であった。 その上、平均斜度24度というから・・殆ど崖を登り降りするようなもの。私メも当地に来てすぐ子供の学校の遠足に同伴したのだが、健脚を誇った若い頃でも胸突き八丁の連続ですっかりアゴを出した記憶がある。

この峠道、蔦の絡まるような細い道から「蔦の細道」との名が付いたそうだが、古代から名を馳せた峠道であった。在原業平が「伊勢物語」で取り上げたり、歌舞伎の「蔦紅葉宇都谷峠」の舞台になった場所である。また、「東関紀行」や「十六夜日記」にも「蔦の細道」の名が見えている。この急峻な峠道が鎌倉時代の頃までの東海道の本道であったが、豊臣秀吉の頃からルートを大きく変え平均斜度14度の比較的穏やかな道となった。一説によれば、秀吉が小田原の北条氏を攻める時、多くの兵馬を通す必要からこのルート変更をしたとも云われている。

以後この道が旧東海道となり、江戸時代参勤交代の諸大名が通った道である。この旧東海道は、芭蕉十哲のひとり許六の詠んだ「十団子も小粒になりぬ秋の風」で有名である。この峠道「東海道中膝栗毛」の弥次喜多ご両人も伊勢参りで通った道だろうか。今では、国道1号線岡部バイパス片側2車線の道路となり、峠の下に貫通したトンネルを車で通れば約1分の道程である。

明治のトンネル秘話

明治のトンネル 「蔦の細道」、「旧東海道」と変遷を経た難所、宇津谷の峠道を避けるため明治時代になるとトンネルが掘られた。明治9年、有料道路として供されたわが国2番目に開通した「明治のトンネル」である。現在は掘り直し(初代の区間を一部再利用)整備され、レトロ調あふれる観光スポットになっているが、掘り直す前、即ち初代「明治のトンネル」の掘削工法の話である。 普通トンネルは両方の入口から掘り始めるが、明治期の初年頃は測量技術が低劣のため、下手をすると上図の(1)のように2本の穴は、永久に行き会わない事態が生じる恐れがある。そこで、知恵者が居て、(2)のように掘り進めると何処かで2本の穴が行き会うことが出来る・・と云うのだが・・・事実、初代の「明治のトンネル」は、その半ばで「く」の字になっていたらしい。それでこのような通説になった。

しかし、測量技術の低劣さゆえに「く」の字の工法を採らせたとの通説には疑問がある。疑問の第一は、上図のように2次元空間なら通説の通りかも知れないが、トンネル工事は3次元空間を掘り進む訳だから測量技術が低劣なら、双方が互いに深すぎたり、浅すぎたり、これまた行き会わないことだってあり得る。疑問の第二は、これより遡ること数十年前、田畑の灌漑用として寛文年間に掘ったと云われる「箱根用水」、芦ノ湖の湖尻から裾野の深良まで、高低差のある1300mの長さを両方から掘り進めて約1mの誤差しか出なかったという、測量技術が既に存在していた事実。

「明治のトンネル」を「く」の字にした理由は他にある。最近、件の「大旅籠 柏屋」の土蔵より見付かった古文書によれば、曲げることで工事費用の節減が出来た。トンネル付近の地形の関係で「く」の字にすることで、トンネルの長さを6〜7m短く掘ることが出来たというのが真相である。通説ほど不確かなものはない。